映画紹介

~まっすぐに夢を追った少女の26年間に密着したドキュメンタリー映画~
TeNYテレビ新潟が、少女の夢の始まりから現在までの26年間を密着取材した感動の記録を映画化しました。

1987年──

新潟県の山あいにある小さな小学校に3頭の子牛が入学した。当時、小学3年生だった少女が牛の世話をするなかで抱いた夢…

それは「牛のお医者さん」。

親しんだ牛との辛い別れを経て、家族や周囲の支え、ふるさとへの強い思いを胸に挑んだ13.5倍の難関…

ペットではない「家畜」のお医者さんとなったかつての少女は、やがて母となり、かけがえのない「いのち」と向き合いながら今日も闘っている。

新潟ローカル放送から日本テレビ系列「ズームイン!!朝!」「NNNドキュメント」の全国放送で大きな反響を得た番組の待望の映画化。

ナレーション:横山由依(よこやま ゆい)

1992年12月8日生まれ。身長158cm。京都府出身。血液型=B型。

AKB48メンバーの中でも、総監督・高橋みなみも絶賛する「がんばり屋」。夢を持ち続けながら少女から大人の女性へと変わっていく主人公の姿を、同じく夢を持ち続ける自身の「等身大の声」で、映画を引っ張っていく。 この映画に参加するにあたり、京都弁を克服しようと何日もかけて映像を見ながら台本を読み込み、映画ナレーションに初挑戦した。

【横山由依メッセージ】

「この映画に参加させてもらって、『やっぱり夢は思い続ければかなうんだ』という事に改めて気づけたし、この映画を見てくださった皆さんの心が希望に満ち溢れている事を祈って、皆さんで楽しんでいただければと思っています。」

製作者のことば

報道記者だった私と知美さんとの出会いは、昭和62年。 「クラスメート」として3頭の牛が「入学」した小学校の取材でした。素朴な木造校舎に懐かしさを覚え、それ以上に「素朴・ピュア」な9人の児童。たちまちファンになりました。

そして迎えた「牛の卒業式」・・。これまで生きてきて、あんなに綺麗な涙を見たことがありません。 なぜこんなに純粋な子供が育つのか? 土地柄なのか? 家族なのか?もっと知りたくなりました。

しかし、当時聞かされていたのは、数年後には廃校になるかも知れない事・・。 ならば、廃校まで密着していこう!  ローカルニュースの継続企画になりました。

当初は「素朴な学校・ピュアな児童」が取材対象で、特に知美さんにだけ焦点をあてることはありませんでした。知美さんの「夢」は知っていました。 「牛のお医者さんになりたい」…でも、獣医になるにはいい大学を出ないといけない訳で、単純に「子供の夢だなあ」と記憶の片隅に忘れて、廃校後の4年間は会っていませんでした。

ある日、知美さんの家に電話してみると、「下宿して遠い高校に通っている」とのこと。親元を離れて猛勉強している。「高校3年間、テレビは見ない」と言う。過去に聞いた彼女の「夢」を、本気で受け止めずスルーしていたテレビマンとしての自分が恥ずかしかった。それからの私の夢は「彼女の夢に密着し、見届けること」。

知美さんからのお願いはただ一つ 「大学に落ちたら放送しないでね」… 大学受験、そして獣医の国家試験合格を取材し、獣医になったばかりの春に「ズームイン!!SUPER」で放送した時には、16年の歳月が流れていました。「夢をかなえた姿は、自分にも頑張る勇気をくれた」、「もう一度見たい」、「学校で子どもたちに見せたい」など、驚くほどの反響がありました。しかし知美さんは、「夢がかなったのではない。 ようやく夢のスタートラインに立っただけ」と言います。

夢には続きがありました。 ならば私も、もうすこし「夢」に付き合わせていただきたい。

そんな矢先に起きたのが「東日本大震災」。 新潟県にも多くの方が避難してきました。 そんな家族・そして子どもたちにもう一度、いや、新しい「夢は牛のお医者さん」を見てもらいたい。 新潟の地方テレビ局が作る番組を、被災地はもちろん全国に見てもらうには、テレビではなく「映画」という手法があります。社内では「無理だ、出来っこない」の意見が当然出ましたが、私は知美さんの生き方を見続けて、「はなから諦めるのではなく、挑戦する」が大事だということを彼女自身から教わってきました。

結婚して、子育てをしながらも家畜の獣医を続ける「今」の知美さんを通して、 「夢の続き」だけでなく「家族・故郷・仕事の喜びと現実」を加えた26年間を描こう。

誰にも愛される「プロの獣医」になった知美さんの姿・・。 彼女の生き方が私の背中を押してくれたからこそ、この映画は完成しました。 私の新たな「夢」が、ここに実りました。

【監督】時田美昭プロフィール 昭和35年 新潟県加茂市生まれ。横浜放送映画専門学校(現在の日本映画大学)卒業後、昭和56年に「テレビ新潟」入社。主に報道部、制作部に在籍し、「ズームイン!!朝!」などを担当。

「夢は牛のお医者さん」映画化の話が出たのは一昨年のこと。「放射線を浴びたX年後」(製作:南海放送)の公開が始まった頃のことと思います。時田美昭ディレクター(監督)から映画化の提案がされ、ビジネスとして成立するのか様々な検討がなされましたが、シビアな判断をすれば「厳しい」という結論となり、その時点で頓挫していました。

この「夢は牛のお医者さん」は、27年前にローカルニュースの企画として放送されてから、「ズームイン!!朝!」で歴代のキャスターが度々取り上げてきました。また、2003年にはNNNドキュメントでも全国放送され、放送の度に大きな反響が寄せられました。素材には大いなる可能性が秘められていました。しかし、映画はビジネス。赤字を出してまで製作に踏み切るというわけにはなかなかいきませんでした。そんな折、Nドキュのプロデューサー会議で「X年後」映画化についての話を聞く機会があり、何とか収支を均衡させるところまでなら可能性があるのでは?と考えるようになりました。そして、日本テレビで当時ズームのCPを務めていた現在の弊社トップもこの番組を見ていたことから強力な後押しを頂き、漸く社内に映画製作実行委員会を立ち上げ、遂に映画化企画をスタートすることが出来たというワケです。

ローカルのテレビ局が映画化を行う場合、キー局と違い、大手の映画配給会社と契約できるような潤沢な予算があるわけもなく、ドキュメンタリー専門の配給会社に協力を依頼することになりました。また、ローカル局の場合、映画製作と同時に、興行を成功させるためのプロモーション活動も同時にやらなければなりません。地元の新潟県内ならば自社媒体を利用できますが、県外に関してはどのようにプロモーション活動をすれば良いのか、皆目見当もつかないまま、映画化の話は進むことになりました。映画の予算を決めるにあたり、協賛スポンサーを集める営業局、映画製作の報道制作局、パブリシティ担当の編成局、チケット販売の事業局など、各部署の役割分担を決めながら、全社挙げての応援体制が作られ、現在も動いています。映画ビジネスに関しては、作品の質の高さが興行成績に直結するために、通常のテレビ番組とはまた違ったハードルの高さというものを改めて感じさせられ、今は映画とテレビの違いを改めてひしひしと身に染みて感じている状況です。

現在、各地のローカル局でテレビ番組を映画化するという動きが徐々に出始めています。それは、放送外収入に対する期待であったり、新たなコンテンツ発表の場としての期待であったり、理由は様々です。しかし、過去の番組がまだまだ自由に視聴できない現在、自分が作った番組が「映画作品として残る」ということは、全国のテレビ製作者にとって大変魅力的なことであることに間違いはありません。

この映画の舞台である松代(まつだい)は、毎年、数メートルの雪に埋もれ、過疎、高齢化が進む地域です。しかし、そんな厳しい自然環境であっても、そこには今の日本が見失いかけている人と人との温かい関係が確かに存在し、のびのびとした子供たちを育んでくれています。厳しい自然の中で暮らす人々は、助け合わなければ生きてゆけません。だからこそこんなにも温かな人々がいるのだと思います。故郷に育まれた優しい子供たち、そして見守る大人たち…。そんな素敵な人間関係がこの映画の中には息づき、描かれています。映画「夢は牛のお医者さん」により、獣医の仕事や、私たちの食生活を支えてくれている畜産農家の方々のことに思いを馳せて頂ければ嬉しく思います。また、山あいの小さな小学校での体験学習での出来事について、教育現場の方々にも是非鑑賞して頂き、参考にして頂ければと思っています。

この映画には、昭和62年(1987年)から足掛け27年間にわたり取材を続けた時田ディレクター(監督)の熱い想いが込められています。なぜこれほどまでにこだわり続けてきたのか、その「答え」は映画の中にあります。是非、鑑賞して頂き、その「答え」を見つけて欲しいと思います。 最後に、この映画公開にあたり、出演を快く引き受けて頂いた丸山知美さん、ご家族の方々、取材に協力して頂いた松代をはじめ各地の皆様、製作に多大な協力をして頂いた日本テレビ「NNNドキュメント」関係者の皆様、制作スタッフの皆様に心より感謝申し上げます。

登場人物紹介

高橋知美さん

昭和53年 新潟県松代町莇平地区生まれ 三姉妹の長女。 小学校に入学した3頭の牛の中で、強子(つよし)を担当。知美さんいわく3頭の中では「足が長くて色男(ハンサム)」。牛のシッポをつかむと蹴られる危険があるが、知美さんはよくシッポをつかんで散歩。 牛との信頼感も人一倍強かった。 小学校は、違う学年の子が一緒に授業を受ける「複式学級」。獣医学部を目指すため、親元を離れての下宿生活で、遠い高校へ通った。高校入学直後の成績順位が最下位近くだったことにショックを受け、「3年間テレビを見ない」と誓って猛勉強。 高校卒業間際には学年トップ15に入るほど成績を上げた。 大学卒業後は新潟県上越市にある家畜診療所に勤務。

平成20年に結婚して丸山姓になる。 2人の男の子を子育てしながらも獣医を続けている。

キーワード紹介

地域&学校
故郷は新潟県東頚城郡松代町(2005年4月に合併後は十日町市)。 莇平(あざみひら)地区は国内有数の豪雪地。 昭和16年に地区に電気が通る。 山の斜面に棚田や家が点在する日本の原風景的なムラだが、一方で過疎化が急激に進んだ地区。  冬は出稼ぎに出た家が多かったが、20年ほど前、バブル崩壊と共に求人が減り、出稼ぎも途絶える。 昭和14年には75世帯あった家も、2014年には20世帯に減った。 莇平小学校は、昭和34年には93人の児童で賑わったが、牛が入学した昭和62年には9人。 知美さんが卒業後は、女の子4人だけになり平成4年に廃校となる。

知美さん一家
高橋家は祖母と両親、3姉妹の6人。 元々コメ農家で数頭の牛も飼育していたが、冬の出稼ぎに出なくても暮らせるよう、牛を10数頭に増やした。獣医になった知美さんの評判を同業者から聞くにつれ、父・勝美さんも奮起。きめ細かな肥育で2011年には、新潟県から出荷した肉牛の中で最高値、全国ランクでも6位に入る、㌔6850円にもなる高級和牛を育て上げた。(父も「やれば出来る」と娘に自慢。)

獣医さんて?
現在、獣医師届出者の総数は38293人(農林水産省:平成24年届出数より)。獣医学教育の履修過程は大学で6年間。カリキュラムは医学部に匹敵するといわれている。日本で獣医師になるためには、獣医学系大学を卒業して農林水産省が実施する獣医師国家試験に合格し、獣医師免許を取得しなければならない。毎年、獣医師国家試験に合格する獣医学生の数は約1,000名。獣医学部の試験は13.5倍の難関といわれている。牛や豚、鶏などを対象として診療行為を行う産業動物臨床獣医師は、農村地域等で自ら診療施設を開設するか農業共済組合または農業協同組合等に勤務して周辺の畜産農家に往診し、ワクチン接種及び消毒など伝染病予防の衛生指導といった予防衛生業務を行なっている。しかし近年では畜産農家の戸数及び家畜の飼養頭羽数の減少、獣医大学における女子学生の増加などにより、従事者の減少が深刻化している。

音 楽

オリジナルサウンドトラック
作曲:笛人 本宮 宏美 & ash
笛人 本宮 宏美。新潟県燕市生まれ。
フルートによるオリジナル楽曲のCDを3枚リリース中。クラシックのジャンルから飛び出したフルートの音色は、あたかも歌声のように奏でられ、その既成概念を超えた技法は、まったく新しい音楽ジャンルを創出している。この上なく切なくも癒される、そして力強く希望の持てるフルートの音色で映画「夢は牛のお医者さん」の世界観を彩る。
サウンドトラック製作
「オトノハコ」
新潟県を中心に活動する音楽集団・音楽プロダクション。
郷愁と温かさが込められた本宮宏美のフルートの音色と笠原厚浩のアコースティックな伴奏が、 映画本編で主人公の心情を奏でる。
エンディングテーマ
「卒業写真」
作詞・作曲:荒井由実  編曲:寺尾敬博  歌:Uru

「卒業写真」は、この映画のメッセージを伝える曲。
♪「あの頃の生き方を あなたは忘れないで」と訴える歌詞は、映画の主人公の半生だけでなく、 観客の誰もが自分を振り返り、また、自分の「これから」を考えさせてくれる名曲。
Uru (ウル)

スタッフ

出 演
丸山知美(旧姓 高橋)
取材協力
十日町市 旧 松代町 莇平地区のみなさん
上越市・妙高市・糸魚川市・津南町 酪農・畜産農家のみなさん
新潟県立高田高等学校 岩手大学
NOSAI上越 農業共済組合 上越家畜診療所 タカノファーム
映像協力
「新潟県中越地震」NNN取材団
プロメディア新潟 バーツ・プロダクション 平林金一 樋口彰
撮 影
計良 昇  若月 透 本間伸行 清住隆芳 青島一吉 須藤裕伸 春川和之 小野里幸基 三富健児 時田美昭 池田優史 小林博之 高橋和也 金子淳一 真木一仁 広瀬友喜 後藤大治郎 金子哲也
音 声
立川愛子 土谷久美子
取 材
中川 治 近藤康子 大竹康子
編 集
金子哲也
ミキサー
浜口 崇
音 効
渡辺真衣
Special Thanks
「ズームイン!!朝!」「ズームイン!!SUPER」「NNNドキュメント」
谷原和憲 日笠昭彦
宣伝デザイン
成瀬慧
宣伝イラスト
成瀬政博
字幕協力
TeNYサービス 駒形正明 中林良隆 森祥子
配給宣伝協力
ウッキー・プロダクション
宣伝PR
紫竹聡子 水野明子
Web製作
小幡章
映画「夢は牛のお医者さん」
オリジナルサウンドトラック
作曲:本宮 宏美 & ash/音楽:オトノハコ株式会社
プロデュース:笠原 厚浩/サウンドプロデュース:寺尾 敬博/レコーディングアシスタント:水戸部 優彦/レコーディングスタジオ:オトノハコ スタジオアッシュ/ミキシングスタジオ:STUDIO GIO WORKS/ フルート、ピアノ:笛人 本宮 宏美/ギター:ash/ベースドラムス&シンセプログラミング:寺尾 敬博
エンディングテーマ
「卒業写真」
作詞・作曲:荒井 由実
編曲:寺尾 敬博
歌:Uru
音楽協力
アルファミュージック ソニーミュージックパブリッシング
「夢は牛のお医者さん」
映画製作実行委員会
室川治久 水島敏夫 熊倉啓一 神林裕 須佐博樹 竹石尚史 稲田裕之 本間芳之
坂上明和 都築昭 増子隆 紫竹聡子 時田美昭 鈴木英門 土田雅之 吉田和祉
アシスタントプロデューサー
吉田和祉
プロデューサー
坂上明和
監 督
時田美昭
製作著作
TeNYテレビ新潟