まずは自己紹介と現在の業務を聞かせてください。
富山から、単身新潟へ。
株式会社佐文工業所 開発部の今井 翼です。地元は富山県射水市で、高校卒業後に北陸職業能力開発大学校に入学。卒業後新卒として佐文工業所に入社。現在3年目です。入社時は製造部勤務だったのですが、1年前より開発部となりました。現在の業務は、取引先様に納品した製品のメンテナンスや改良箇所の調査。新製品開発の設計を行っています。
学生時代はプログラミングの学科だったのですが、講義の中にモノ作りの授業があり、プログラミングよりもそっちの方が楽しくて、就職は「プログラミングが活かせ、モノ作りが出来る企業」にと思い佐文工業所を選びました。
今井さんの就活について詳しく教えてください。
人事の方の温かさに、アットホームな企業感が伝わって来た。
就活中、まずは「モノ作りが出来る企業」を探していました。地元の企業を含め何社か候補がありましたが、正直私の中では9割方佐文工業所に決めていました。決め手は、人事の方がとても話しやすかった事です。親身になって色々な話をしている中で、企業のアットホーム感が伝わり、「自分もココで働きたい。」と強く思ったのを記憶しています。
佐文工業所の事業について、事前に知っていましたか?
入社するまではミシンの部品については殆ど知りませんでした。佐文工業所で制作している「ロータリーフック」 (ミシン機能を決定づけるとまで言われている重要パーツ)」も「形がカッコイイな。」程度。ただ、前出した通り、自分の能力を活かしてモノ作りが出来る。「ココで働きたい。」と思った佐文工業所から内定を受けた事が嬉しかったですね。
今井さんが佐文工業所に入社してから現在までのお話を教えてください。
自分が動かなければ変わらない。と人見知りを克服
入社1年目は上司に指示をただこなす日々でした。入社前に色々な想いはあったのですが、元々人見知りで他人とのコミュニケーションが苦手な方だったので仕事の面で上司や先輩に「聞く事」が恥ずかしかったのです。
作業工程を理解していない中での人見知りは大変でしたね。
ただ、私の場合上司に恵まれていました。研修時代から私の性格を理解してくれ、公私共に相談に乗ってくれました。その中で「自分が動かなければ、何も変わらない。」というのと、「上司の期待に応えたい。」という決意を持ち、徐々に変わっていきました。自身が変わる事によって周囲の評価も上がり、社内での人脈もひろがり、仕事にやりがいを感じ始めました。
現在は「何で?」を大切に仕事しています。材質、形状、品質等「何でここまで必要なのか?」を考え、製品開発や改良作業を行っています。自分の考えが上手く行き、周囲に評価されるのは非常に嬉しいですし、仕事に対する責任感も強くなっていきましたね。
居心地の良い環境で仕事が出来る。先程話したアットホームな企業を象徴する話ですね。
上司や同僚含めて非常に話しやすい環境で会社としての団結力や結束の強さを感じています。同世代の社員も凄く仲が良いですし、人間関係で悩むことが非常に少ないです。上司に言えない悩みがあれば「社内診療所」という場所もあるので。
社内診療所?会社に病院が併設されているのですか?
いいえ。学校で例えるなら「保健室」の様な場所ですね。看護士さんが常駐していて、そこで色々と聞いてもらい息抜きが出来る場所です。本当、色々聞いてもらっています。
なるほど。では、今井さんの中で入社後印象に残っているエピソードがあれば聞かせてください。
開発部に異動になった当初、取引先様からの商品調査等で報告書を作成するのですが、専門用語をよく理解しておらず苦労していました。その際、上司に相談すると嫌な顔せず親身にアドバイスを貰え、スキルアップする事が出来ました。あと一つ。仕事と関係ないですが、この夏、地域主催のソフトボール大会に出場。私は野球経験無いのですがピッチャーに選抜され優勝しました。ちなみに、1位、2位が当社だったのです。
それは凄いですね。優勝の要因は何だったのですか?
私の運動センス。と言いたいですが、やはり団結・結束力ですね。普段の仕事のそれがソフトボールにも出たのかな?と思っています。
最後に、今井さんの今後の目標を聞かせてください。
世界で愛される商品を開発したい。
私達が作っている製品は、実は皆さんの身近な所に役立っています。ソファや車のシート、洋服や靴等殆どが工業用ミシンで作られています。今後も会社の一員として現商品の作業工程の見直し、良い試作を開発し、皆様の幸せと会社の売上に少しでも貢献し、念願の海外出張を経験して、いずれは自分の開発した商品が、世界で愛されるモノになればと思っています。